株式会社ヤマティー 代表取締役社長 山下正廣氏
聞き手;片貝孝夫 片貝システム研究所代表
第七回目は、1992年に設立された独立系システムインテグレータのヤマティーを訪ねました。設立当初は2次受けのシステム開発会社でしたが、2006年よりNTTデータと直接取引を開始し、07年には同社の技術力が認められ、NTTデータのパートナー企業に認定されました。代表取締役の山下正廣氏は旧国有鉄道(国鉄)系列の情報子会社に入社したことで、IT業界でのキャリアが始まりました。オフコンのシステム開発に約2年間携わった後、制御系の知識を身につけるため転職。約2年間、制御系システムの開発に携わった後、オープン系および汎用機の知識を習得するため転職。27歳でヤマティーを設立しました。今回、聞き手を務めてくれたのは片貝システム研究所代表の片貝孝夫氏。同氏は40年以上もの長きにわたり、IT業界に身を置いてきました。現在はアクシスソフトが提供するリッチクライアント「Biz/Browser」の普及に注力。片貝氏が小規模な組織ながらもプライムとしての仕事にこだわるヤマティーに関心を持ったことから、今回の訪問となりました。
■新幹線の運転手になりたかったが、採用がなくJRのシステム子会社に
片貝氏 ヤマティーという会社を知るためにも、まずは山下さんの経歴について教えていただけますか。
山下氏 今から20数年前、私が学生だった頃、コンピュータ・エンジニアという職種は世間では認知されていませんでした。当然私もコンピュータのエンジニアになろうとは思っていませんでしたね。当時は新幹線の運転士になることが夢だったんです。そのため、進んだのも鉄道学校。しかし卒業する頃、国鉄は民営化への準備を進めている最中で、新規の採用をいっさい行っていなかったのです。同期生の中には私鉄への入社を決める人もいましたが、私は新幹線の運転士以外にはなりたくなかった。そこで国鉄系列のコンピュータ会社に入社を決めたのです。それがIT業界との出合いとなりました。
片貝氏 コンピュータにまったく縁がなく、システム子会社に入社したのですか。
山下氏 まったく縁がなかったというわけではありません。たまたま家にコンピュータがあり、趣味で触ったことはありました。しかしそれで将来、生計を立てようとはまったく考えていませんでしたね。
片貝氏 国鉄系列のコンピュータ会社に入社して以降、どのような仕事に携わってきたのでしょう。
山下氏 最初に携わった開発案件は、関東近県の駅ビルのテナントの売上や業績を管理するオフコンのシステムです。駅ビルごとに運営会社が異なるため、ビルが新築されるたびにシステム開発が行われていました。
片貝氏 設計書はお客様側できちんと用意されていたのでしょうか。
山下氏 設計書は業務的なところまで落ちていなかったと思います。あったのはシーケンシャルファイルなどのファイルの定義書と画面。他のビルで既に稼働しているシステムをカスタマイズして、先輩に教えてもらいながら、新しいビル向けのシステムを開発していました。
片貝氏 その後はどんな仕事に携われたのでしょう。
山下氏 オフコンでのシステム開発をしていくうちに、コンピュータがどうやって動いているのかを知りたくなってきたんです。そんな頃、知り合いに誘われ、アセンブラや機械語を使うマイコンや制御系システムに携われる会社に転職。約2年間、制御系システムの開発に携わりました。その頃の制御系の開発環境はOS-9(旧マイクロウェアが開発したリアルタイムOS)もしくはOSなしか。そこではC言語での開発も行われていたので、オープン系の知識も習得ができました。
さらに知識の幅を広げようと、汎用機をメインとしているシステム開発会社に転職しました。ちょうど汎用機からオープン系に移行しつつあるときで、その会社でもUNIXの案件を手がけるようになっていたのです。私はオープン系を他のメンバーに教える一方で、汎用機の知識をつけようと、汎用機の仕事に携わりました。
片貝氏 転職することでオフコンからマイコン・制御系、UNIX、汎用機の知識を短期間に習得していったんですね。
山下氏 新しい知識を仕入れることが楽しかったんです。今とは違い、当時はC言語やOS-9について勉強したくても、インターネットはおろか書籍もない。何かのバグでOSが動かない場合は、ベンダーに直接聞くしか方法がありませんでした。またOSがないマイコンに携わったことで、疑似OSを作成して組み込むことも経験できた。本当に仕事の運があったと思います。
片貝氏 「これを学びたい」という意思があったから仕事の運もついてきたのではないでしょうか。
山下氏 そうかもしれません。常に「これをやりたい」という思いで転職しましたから。その後はヒューレット・パッカード(HP)の子会社に転職したのですが、1週間で退職。同時に受かっていたオープン系システムを手がけている、社員50人ほどの小さなコンピュータ会社に転職しました。
片貝氏 なんでHPの子会社を1週間でやめたのでしょう。
山下氏 HPの子会社だけに英語が当たり前にできるなど、社員は皆、優秀でした。しかし肝心の仕事はHPへの派遣だったため、面白みを感じなかったのです。一方、もう1社はまだ組織が小さかったので、いろいろな仕事に挑戦できると思った。その会社は本当に楽しかったですね。独立するまでの2年半、その会社で楽しく仕事をしました。主に私が携わっていたのは、「地域気象観測システム」、いわゆる「アメダス」と呼ばれるシステムです。NTTデータが気象庁から受注し、私たちが現場を任されていました。
■「人のために何かしたい」という気持ちで起業
片貝氏 その会社を辞めて独立しようと思ったきっかけについて教えてください。
山下氏 独立は27歳のときでした。きっかけはバブルが弾け、その会社の経営がうまくいかなくなってきたことです。とはいえ、会社を経営したいとは思っていませんでした。ただ、人のために何かしたいという気持ちはあった。それが会社設立へとつながりました。
片貝氏 人のためとは、そのとき携わっていた仕事を責任もって続けることだったというわけですか。
山下氏 当時、私はアメダスの重要な部分を任されていたんです。会社を辞めてからも、私は個人でその仕事を続けていたのですが、その仕事をいただいていた大手SIerから会社組織にしてほしいといわれたんです。会社設立後も、2005年にSI担当が発足するまでは、私も社員と一緒にNTTデータの現場で、先述のアメダスのほか、地震研究所のシステムや天気予報電話サービスのシステムを開発していました。そのほかには、渋滞や交通規制などの道路交通情報をリアルタイムに配信する情報通信システム(VICS)。同システムはNTTデータだけではなくNECや住友電工など複数の会社により開発が行われていました。当社が担当したのは、NTTデータが担当する部分。まだ社員数が10人ぐらいで、オフィスもありませんでした。2001年に池袋にオフィスを作るまでは、面接や入社式など現場のオフィス内でやらせてもらっていたんです。
片貝氏 オフィスのない会社が、人を採用するのは非常に難しいことだと思います。特に応募する側は「オフィスのない会社」というだけで、不安に感じてしまう。それなのになぜ、いい人材が採用できたのでしょう。
山下氏 面接に来てくれた方には、とにかく当社がやっている仕事について一生懸命説明しました。その仕事に魅力を感じてくれたのではと思います。私自身が直接、お客様とやり取りし、現場でも陣頭指揮を取っていた。だから熱く語れたのでしょう。
■NTTデータのパートナーに認定される
片貝氏 2007年にNTTデータのパートナーに認定されました。パートナーに認定されるには、いろいろ厳しい条件があると思うのですが、どういう経緯で認定に至ったのでしょう。
山下氏 確かにNTTデータのパートナーに認定されるには、売上が10億以上、上場していること、社員は100人以上と条件を満たす必要があります。当社はいずれも満たしてはいません。ではなぜ認定されたのか。オウム真理教事件などをきっかけに、NTTデータが受注した現場で、実際の仕事をしている人たちの出身を明らかすることになったんです。それでうちの社員が優秀だということにNTTデータの人たちが気づいた。そこで直接取引をさせてほしいという話が出てきたのですが、このときは話が流れたんです。その後もパートナー認定の話が出ては消えたりしていました。決定的となったのは、あるプロジェクトの途中で間に入っている上場企業が撤退したことです。実は同プロジェクトの一部の現場をメインで担当していたのが、当社のメンバー。そこで当社が業務を引き継ぐこととなったのです。そのためにはパートナー認定が必要になる。また同じころ私が直接担当していた不動産流通関連のシステム開発のプロジェクトでも、間に上場企業が入っていたのですが、終了後、間に企業は入らないんじゃないかという話になったのです。そういった事柄が重なったこと、NTTデータの方々の尽力もあり、パートナー認定されることとなりました。
片貝氏 実力が純粋に評価されたんですね。素晴らしいことです。その後もNTTデータとの付き合いが多かったのでしょうか。
山下氏 NTTデータの案件を手がけていたのは、それから4年間ぐらいだと思います。パートナー認定されるとき、NTTデータには「将来的にはプライムとしてやっていくつもりだ」ということを言っていたのです。だからプライムのSIerとなれるようにと、NTTデータが担当するのは営業だけで、それ以降の工程はすべて丸投げしてもらっていたんです。そして2009年の終わりには、営業もやっていいというお達しをもらった。そこからプライムのSIerとしての挑戦が始まりました。
片貝氏 なぜ、NTTデータは「営業からすべてやっていい」と言ったのでしょう。
山下氏 私たちが担当していた不動産流通は、NTTデータとしては規模の小さい100億円ほどのニッチなマーケットだったからだと思います。これをきっかけに、すべての業界においてプライムのSIerとしてビジネスができるようになったんです。「いつまでもNTTデータの下請けで食べていこうという気持ちはありません」とNTTデータには言っていたとはいえ、それが現実になったのはうれしかったですね。
■お客さまのために、ビジネスモデルから提案できるSIerへのチャレンジ
片貝氏 それでも喧嘩別れせずにその後もいい関係が築けたのは、なぜなんでしょう。
山下氏 元々、将来はプライムとしてやっていくことを宣言していたことに加え、最後発ながらも不動産流通の分野で、「過半数以上シェアを取ろう」という目標を実現したことが大きかったですね。NTTデータとしてもこれ以上、ニッチな分野を攻めても旨みはないと思ったのでしょう。現在ではほとんどNTTデータの仕事はやっていません。
片貝氏 うまくNTTデータから離れ、プライムのSIerとして独立できたんですね。
山下氏 その後、当社にとっての大きな動きとして挙げられるのが、中国・江蘇省に英脉特信息技術(無錫)有限公司というオフショア拠点を設けたことです。この会社は英極軟件開発有限公司とECOMホールディングス(EMCOM HD)、そして当社という3社の共同出資による合弁会社。きっかけは共同出資先の一つである英極軟件開発有限公司と以前より付き合いがあったこと。英極軟件開発有限公司は旧ライブドア(ライブドア事件が起こる前のライブドア)の子会社だったのですが、その後独立し、今はFXシステムの開発をメイン事業として展開しているECOMホールディングス(EMCOM HD)のグループ会社となっています。
またもう一つの大きなチャレンジとしてはライブドアと連携して新築分譲マンションの情報を提供する「livedoor 不動産-新築分譲マンション-」の運営に携わったこと。現在、同サイトの運営は私たちの手を離れていますが、まさしくこれははじめて私たちがSIerとしてではなく、事業者としてサービスを提供した案件となりました。
片貝氏 現在、注力しているビジネスについて教えてください。
山下氏 食品流通クラウドサービス「marti」はその一例です。図を見ていただければわかると思うのですが、同サービスはリテーラー、商社、サプライヤー、物流倉庫など食品の流通にかかわるプレイヤーの情報(入出庫や在庫、発注、納品、課金など)を一元管理する仕組みを提供します。しかも利用料は全通過金額に対する従量課金制です。
片貝氏 つまりシステムは無料で貸すということですね。このサービスを利用しているお客さまを教えてください。
山下氏 マックスバリューやイオングループなどが利用してくださっています。今後、当社としてはお客さまのシステムを開発するよりも、ビジネスモデルから作っていきたいと考えています。それは当社が掲げているテーマ「未知の“仕組み”を売る企業へ」を実現することだからです。実は今、高級腕時計のB2Bサイトを事業者と作っており、2010年10月よりサービスを開始しました。同サイトは高級時計を扱っている各企業が自社商品を出品するだけではなく、他企業の出品商品を購入ができるという業販サイトです。
片貝氏 この仕組みはいろいろな商品に応用が効きそうですね。
山下氏 そうなんです。同サイトの場合、買う人は多いのですが売る人が少なくて苦労しています。ただシステムを開発するだけではなく、ビジネスモデルから携わるような試みにどんどんチャレンジしています。
片貝氏 実際、こういったクラウドビジネスは貴社の売上のどのくらいを占めているのでしょうか。
山下氏 クラウドビジネスは約1割。運用保守が2割、残りの8割をシステム開発および常駐業務が占めています。
片貝氏 そうすると年間売上の半分ぐらいはあらかじめ見えていることになりますね。
山下氏 そうですね。3.5億円ぐらいは見えていると思います。
片貝氏 それぐらい売上が見えていると安心して経営できますね。
山下氏 これまではお客様を限定し、そのお客様に対して一極集中型のビジネスを展開して安定を得てきました。これからはさらに多くのお客様に私たちのビジネスを提供できるよう、規模を大きくしていきたい。社員数であれば100人、さらには300人体制へと。そうすれば売上も現在の8億円から30億円、50億円になる。今期は社員をできるだけ外に出して新規にお客様を獲得すべく、基盤づくりに取り組んでいます。
■将来、誰もが働きたいと憧れる業界にしたい
片貝氏 研究開発を奨励しているところも貴社の特徴だと思います。どんな研究開発が行われているのでしょう。
山下氏 不動産流通サイトに携わっていたときは、素早い検索の仕組みやユーザーインタフェースに関する研究開発を行っていました。最近はRubyをはじめとする新しい言語の習得ですね。社員はSIerとして技術力を上げたいと考えているようです。その社員の気持ちに応じるため、予め定められた期限までに言語を習得したら、報奨金を出すというような制度を用意しています。とはいえ、SEは技術だけではダメ。どれだけお客様の業務を理解できるかが重要になる。しかしそういった業務スキルを上げる仕組みはまだ見つかっていない。当社としてはSE個人の力を上げる機会になる上流工程に携われるチャンスがあるので、上昇志向のあるメンバーはワクワクしながら仕事ができていると思います。当社としては社員全員が上流工程で結果を出せるようにするのがテーマですね。
片貝氏 全員がそういう志向になるのは難しいとは思いますが、前を走っている社員が背中を見せていくという文化はいいですよね。
山下氏 開発部門だけではなく、管理部門や営業部門の社員にも「真のSEとしてお客様に接していこう」という気持ちを持つようにと言っています。そういった気持ちを持っていることの表れとして、管理部門や営業部門の社員たちにも基本情報技術者試験を受けてもらうことを推進しています。
片貝氏 データベースはOracleしか知らない、言語はJavaしかできない、だからその範囲でできる仕事に携われればいいと考えるSEが多いのも問題です。本来、データベースや言語は道具にすぎない。つまりお客様にとって最もよいシステムを作るためには、さまざまな道具を使えた方がいいはずです。私の持論は、「プロは道具を好きになってはいけない」。道具はあくまでも道具。お客様の目的を達成するためにはもちろんですが、5年後、10年後の将来を考えた上で、お客様のためになるもの、いちばん安くて良いものを提供することがプロの仕事だろうと。
山下氏 確かにIT業界はプロではない人が多すぎると思います。プログラマやSEなどと名乗ってはいますが、その資格を表す基準は何もありませんから。例えばSEと名乗るのであれば簡単な業務フローとER図は書けて当たり前だと思うのですが、外注先のSEの場合、8割は書けなかったりする。仕事へのモチベーションも低い人が多い。まずはそういった部分を変えていくことから始めていきたい。子どもたちが「将来はITエンジニアになりたい、IT業界に入りたい」と思えるような魅力あふれる業界にしていきたいと思っています。
片貝氏 また一方で、発注者であるユーザー側のITリテラシーを向上させることも重要だと感じています。私はそちらの育成に注力するので、山下さんには、IT業界の建て直しを図ってもらいたいですね。最後にBPIAへの期待についてお聞かせください。
山下氏 BPIAへは三技協・代表取締役社長の仙石氏から紹介されました。志の高い人たちが集まっている団体だろうなと、ワクワクしました。実際、入ってみたら思っていた以上に魅力的な団体だと感じました。最初に参加したのが、第43回新ビジネスモデル研究会「アジャイル開発によるシステム内製化成功事例」。ゼリア新薬工業 情報システム部の熊野氏が講師でした。まさに副題の通り「目からウロコ」でした。その後、熊野氏には当社の社内研修でも講演していただきました。
片貝氏 BPIAは出会いの場でもあるので、そういった行動につながったのはうれしいですね。研究会を通じて会員が出会い、何かのアクションを起こしていく。BPIAの大きな役割だと思います。
山下氏 今のままでは、ほとんどのSIerは大手メーカーが丸投げするお客様のためになるかどうかわからないシステムを作る受け皿になっていくのではと危惧しています。BPIAでいろいろ学びながら、お客様にとって本当によいシステムをつくるSIerとなるべく、力を尽くしていきたいと思います。
片貝氏 IT業界は3K職場だと言われていますが、先述したようにこんなすごい仕事は無いんですよ。米国では医者や弁護士よりSEやプログラマの方がなりたい職業ランキングでは上なんです。自分が努力したことで何千人、何万人の人に感謝してもらえる仕事なんですから。そんな立派な仕事なんだと言うことをわからせたいですよね。ぜひ、BPIAの中で活動をして、IT業界建て直しに貢献していただければと思います。
(文・フリーランスライター 中村仁美)
株式会社ヤマティー